「マケドニア共和国」が「北マケドニア共和国」に改名したのはなぜ?その理由を調べました。

国名

2019年1月11日、「マケドニア共和国」が「北マケドニア共和国」に改名することが決定されました。マケドニア議会の憲法改正案承認によって実現しました。

実際の国名変更は、ギリシャ国会による両国合意の承認後となります。

隣国ギリシャとの対立関係を解く歴史的な合意へ、一歩前進した格好です。

「北マケドニア共和国」に改名した背景と理由

それではなぜ「マケドニア共和国」は「北マケドニア共和国」に改名したのでしょうか?それを紐解くためには歴史的背景に触れなければなりません。

そもそも「マケドニア」は、現在のギリシャ、ブルガリアのそれぞれ一部と、独立国のマケドニア共和国(国際連合などでの呼称はマケドニア旧ユーゴスラビア共和国。詳細は後述)にまたがる地域を総称する地名でした。

中世に民族国家を形成しなかったマケドニア地方では民族意識の形成が遅れたため、先に独立を果たした周辺バルカン諸国によって、バルカン戦争によってギリシャ、ブルガリア王国、セルビアの3王国に分割されてしまいました。

現在の国境は、このときに作られたものです。

そして1946年に第2次世界大戦後ユーゴスラビアが連邦制を採用した際、マケドニア人たちはスコピエという都市を首都としてユーゴスラビア連邦の中にマケドニア共和国を作り、ついには1991年に独立を果たしました。

そのため「マケドニア共和国」は国際社会から国として認められるのに大変苦労していたのです。1993年に国連に加盟する際には妥協案として、「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という名称にされてしまいました。

以降ギリシャ等周辺諸国を中心に国名変更を強く要求されていたのですが、ここ数年国際情勢が変化してきたことが新しい引き金を引きました。

それは、バルカン半島でのロシアや中国の影響力台頭です。

近年力を強めているロシア・中国のこの動きに対して、EU諸国は強く警戒していました。

そこでギリシャを説得してマケドニアを国際社会に名実ともに復帰させ、地政学的にバルカン半島・そしてヨーロッパを守ろうしたのです。

そのため提案されたのが、「ギリシャのNATOなどへの加盟反対撤回」と「マケドニア共和国の改名」をトレードオフとする案でした。

これに基づき両国政権は、2018年6月より合意を交わし、実現に向けて動きを進めていました。

ギリシャのチプラス首相は祝意を表明し、あとは国内の議会を通すのみとなりましたが、以上の背景があるため世論や連立与党の反対に遭うことも予想され、予断は許されない状況です。

「マケドニア」の名前の意味

「マケドニア」の名前の意味について調べました。

以下ギリシャの「マケドニア」という名称についてのWikipediaの引用です。


マケドニアという地域名称の由来として、主に次の3つの説がある。
古代ギリシャ神話によると、マケドン(Macedon)はマケドニア地方の西部、南部、中部に居住し、古代マケドニア王国を築き上げた部族の最初の長(phylarch)の名前であるとしている。
マケドノイ(Makednoí)とは古代ギリシャ語のドリス方言の名詞でマーコス(μάκοςmākos、アテナイ方言ではμάκροςmákros、現代ギリシャ語ではμήκοςmēkos)という「長さ」を意味する語、およびドリス方言の形容詞でマケドノス(μακεδνός makednós)という「高い」を意味する語に由来するとしている。これは、古代マケドニア人は背の高い人々として認識されていたことによる。この形容詞はホメロスの「オデュッセイア」において(7.105f)、背の高いポプラの木の記述として使用されている。また、アリストパネスの喜劇「鳥」において、作中に登場する架空の都市を取り巻く城壁の記述としてもこの形容詞が用いられている。
証明されていない仮説では、マケドネス(Makedónes)とは「高地人」を意味し、それは仮説上の古代マケドニア方言の所有複合語(bahuvrihi)で「高地の」を意味する「マキ・ケドネス」(*μακι-κεδόνες *maki-kedónes)に由来するとしている。しかし、この説についても真剣な議論がなされている。

以上、「マケドニア共和国」について調べました。

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